オーダースーツ コンシェルジュ ボットーネの松はじめです。
ファッションは、時代の変化とともに、
柔軟かつ大胆にそれを表現した者がシンボルとなる。
私はそう思います。
前回、ブリティッシュスーツの起源という記事で、歴史を追っていくなかで、ウールスーツらしきスリーピースが宮廷に登場した時の模様までをお伝えしておりました。今回は、いよいよあの紳士の登場です。
前回までチャールズ1世、チャールズ2世とご説明してきた英国王室、この後の王室は、チャールズ2世の兄弟であるジェームズ2世、その息子ウィリアム3世とメアリー2世、アンとスチュアート朝が続きます。その後ハノーヴァ朝に。ジョージ1世、ジョージ2世、ジョージ3世、ジョージ4世、ウィリアム4世、ビクトリアと続いていくのです。
ちなみに、映画にもなった英国王のスピーチに登場する、英国史上最も内気な王、というのがこの後のウインザー朝、ジョージ6世です。
ハノーヴァ家、ジョージ1・2・3世まではファッションでのあれやこれやというのは特別はなかったようです。ファッション時代の変革といえば、1762年誕生の、ジョージ4世でした。父、ジョージ3世はゆったりと落ち着いた宮廷を作っていたため、良くも悪くも波風なく可もなく不可もなく、といった暮らしだったといえます。その子、ジョージ4世は、非常にユニークな組織を作ります。
地理学、天文学、植物学を奨励し、フランスのバレエダンサー、フランス料理のコック、騎手、道化、格闘家、そして仕立て屋などなど、実に様々な人間がジョージ4世のとりまきでした。
そして、このとりまきに、鳥肌が立つような1人の洒落者(ジョージの学友)がいたのです…
ファッションリーダー、ボー・ブランメルの名を耳にしたことのある方は少なくないのではないでしょうか?ついに彼の登場で、IT革命でビジネスはおろかファッションもクールビズになって社会が様変わりしたように、時代が大きく変わるのです。
ブランメルの言葉
私は香水はつけない。
リネンは上質なのをつける。
きちんと昔ながらの伝統的な手洗いでお手入れする。
きっと典型的なイギリス人が見たらこう言うに違いない。
あの着こなしはなってないし、固すぎる。タイトすぎるし、流行を追いすぎだ、と言うだろう。
当時は艶やかで奇抜な服装で溢れていて、
香水をつけて、化粧をしていました。
それを極端に控え目シンプルな服装にして、
香水もつけず、化粧もしていない男が現れたわけです。
着替えには2時間くらいかけて、
タイではなくリンネル(リネン)を巻いていました。
しかも、理想通り美しく巻けるまで何度も撒き直したそうです。
他にも、「洗濯糊が紳士を作り、礼儀が淑女を作る」
「人からお洒落と思われているうちは、まだまだお洒落ではない」
「道行く人々が振り返って君を見るならば、君の着こなしは間違いだ」
といった名言が残っています。
紺のコートはイギリス乗馬服ベース。
長靴にフィットした長ズボン、シルクハット。
化粧せず、香水は用いず、髭を剃る。
もともとブランメルは平民で、決して家柄が良くなかったのです。それでどんな境遇をも楽しんでしまう性格の持ち主。
彼の父は英国首相のノース卿の秘書をしていました。
そこで仕えて財を成したことで、ロンドンのイートンカレッジという私立中学に入学できました。
そこでついた名が「Beau Brummell(Beau=お洒落・ダンディ / ブランメル) 」
冒頭のジョージ4世が、オックスフォード大学で皇太子兼摂政時代、学友でした。
美しい顔立ち、几帳面そうですよね。
毎日着替えに2時間かけていたというのも理解できる風貌です。
ファッションスタイルというのは、現代も著名な芸能人のスタイルが持てはやされ、例えば農耕用のブーツをハリウッド女優が履いているからといった理由で一世を風靡し、いつの間にかそれがスタイルとなるように、彼も多大な影響力を有します。
さて、そんなブランメルが登場する前まで服といえば、装飾的でした。階級を外面でどう表現するか、という部分を重視していた服装だったわけです。
ブランメルは逆で、外見ではなく洋服を装うことや振る舞いといった精神性を大切にします。また色合いもケバケバしい色ではなく、ダーク系中心が美しい、と言い、身体にフィットする服を着るべき!と訴えました。
またブランメルは好みも明確で、自分スタイルをお抱えのテーラーに仕立てさせていました。自分をきちんと表現し、デザインがあり、しかもあくまでも社交界で受け入れられる服。
そして彼が望んだのがフィットした服です。
この頃からフィットしたクレヴァーカットのコートがトレンド。
肩にはパッドを入れ、肩幅を強調。
そろそろクラヴァット(現在のネクタイ)が登場して、「お洒落なタイの結び方」という書物が出版されます。
さて、ブランメルをはじめ発信された、このピッタリとした袖つけの雰囲気のスーツは、現代に確実に受け継がれています。
またネクタイを締めたスーツスタイル、
半ズボンだったのを、長ズボン=パンタロン(パンツ)を誂え、積極的にファッションに取り入れたのも彼です。
こうした現代にも生きている洗練されたスーツスタイルも礎を作ったのがブランメルといえます。
私が共感する部分は、
時代性を取り入れつつも、
クラシックでエレガントな装いを取り入れたことです。
非の打ちどころのない彼の服装というのは、
足し算のファッションではなくて、
驚くほどシンプルな、
引き算のファッションだからです。
そしてファッションリーダーブランメルの服装は、こういうメッセージでもあったと思います。
貴族社会が終わる。上流階級の時代がやってくる。次の100年(19世紀)の到来。
時代の変わり目というのは、いつの時代も似た部分があります。そしてその変化は少しずつ浸食したかと思えば、あるポイントを境目に、水が沸点を迎え沸騰し蒸気になるが如く一機に進みます。誰にも止められず、いつの時も、変化を受け入れながら、スタイルを創った人間が中心にいます。
この後、いよいよ燕尾服の時代です。
が、ちょっと歴史を進めまして、
次回の洋服物語はイタリア・スーツが誕生し広がっていったところをご説明しますね。
最後に、諸説ありますがベストの下のボタンを外すことになった理由ですが、
ジョージ4世のこだわりで、その方が恰好いいから、と言ったからという説もありますが、ブランメルが絡んでいる説もあります。私は後者の方が好きなのですが。
スーツのベストの一番下のボタンを外すことになった由来とは
関連記事: ブリティッシュスーツの起源
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