オーダースーツ コンシェルジュ ボットーネの松はじめです。
おぉ 、と声にならないような心の声。
できた。 うん、いい。
ドレープ感、色、理想通り。細部までも、これは上品、あまりにも。
私自信の誂え服、ダブルブレステッド・タキシード。
極細番手を取り寄せて制作しましたので、着ている感じはまったくなく、気づかれない程に濃紺。それから、こだわって拝絹(襟の部分)も紺。
自分の体感を通して、この嬉しい感覚を、こだわりを持つ多くの紳士に味わっていただきたい、そう強く思う瞬間でもあります。着用は7月のクライアント様の結婚式です。
昨日、タキシードが完成したからか、英国服について思いを馳せて移動していましたら、ふと我に返って周囲を見渡すと、、、
あまりの上着非着用率!?
現代ではそれを「クールビズ」と呼ぶらしく、ハットはおろかタイすらもしていないではないですか。
そんな、下着姿の国、日本の夏がやってきましたが、私は今日も総裏スーツでした。
暑くないですか?と聞かれるのですが、そういう問題ではないのです。まぁ慣れたとはいえ暑いのですけれどね(笑)
それでも打ち合わせに出かけますと、受付の綺麗な女性の方に
「上着お預かりいたしますが?」と言われ、いえ結構、というのも毎回で申し訳なくなってきた今日この頃であります。
ウィレット・カンニングトン博士著作、十七世紀の英国の服装ハンドブックによりますと、1963年の書物ですが、男性の洋服は、このようになっています。男性の服装 コート、ウエストコート、ブリーチズ着用
コートが上着ですね。ウエストコートがつまりはベスト、ブリーチズとはショートパンツ(半ズボン)ということです。
本日は画はチャールズ1世(左)から、英国、ブリティシュスーツの原点を辿ってみたいと思います…
割とハイウエスト、質の良さそうな素材のジャケット。ハットに長靴。
この頃までは男性は、上着にピタッとしたダブレットという、いわゆるピタッと首から腰までの服を纏っています。また当時の特徴は、袖にレースの折り返しカフをつけていることです。 パンツですが、こちらはふっくらしたメロンホーズが消えて、タイトなブリーチズ(半ズボン)が登場します。
1640年ごろに、ついにメンズ・ファッションに画期的な新風が訪れました。
トラウザーズの登場です。
つまりは現代のズボン(パンツ)なのですが、この時が来るまで紳士のお洒落はブリーチズ(ショートパンツ)だったわけです。
とはいえ、この時点でも完全な現代的なパンツではなく、ふくらはぎくらいの丈になっています。
また、現代に通ずる部分として、ジャケットは途中からボタンを締めずに自然に流れるように着用しています。
その切れ間からはアンダーシャツでしょうか、白いインナーが見えます。
極力ウエストのポイントを高めに見えるように工夫されているあたりは、現代にも通ずる部分です。この画は17世紀中期ということで、当時のトレンドだったのでしょう。
乗馬がベースになっていますので、基本的にはブーツを履きますが、紳士が履いている靴はかなりデザイン面で凝っています。やはり粋な紳士はシューズ職人に特注させ、足元にこだわっていますね。
画のトラウザーズ(パンツ)のラインはストレート気味で、裾にもフリンジがついています。
そういえば、フリンジといいますと、このようなブーツ、レディースではみかけたことがありませんか?
さて、ファッショナブルだったチャールズ1世(政治能力は欠けていた?!!)ですが、当時のイギリスでは、選ばれし王であっても国民の怒りを買って処刑、ということは少なくありません。
チャールズ1世も例外ではありませんでしたが、清教徒革命(またはピューリタン革命)という、いわゆる内戦が起こります。
1649年、処刑台に立ったときもダブレットとホーズで立ったといいます。
1650年ごろから、ヨーロッパの混乱は激しくなります。
1660年、フランスに亡命していたチャールズ二世が返り咲きます。
このあたりまで男性はタブレッドを着用していますが、王政復古に合わせるかのようにモード色を強めていきました。
チャールズ2世になりますと、様々な国を見てきた彼は、フランス服や習慣の良さも知っています。
(画は庭師からパイナップルを貰うチャールズ2世 Hendrik Danckerts画 )
チャールズ2世の特徴は、派手で芸術的、恋愛もオープン。
そのためか、メリーモナーク(陽気な王様)と呼ばれていました。
彼のとりまきは、ごく短めタブレットに豪華な刺繍を施して、カラフルなサテンを用いた着こなしをしたりと、流行先端ファッションを取り入れて楽しみます。
ちなみに、この時はまだクラヴァト(ネクタイ)はしていません。
これが宮廷ファッションかといえば、イギリスにはまだ宮廷がなかったんですね。
チャールズ1世のときから続く国家財政、つまり経済的な理由ではないかということなのですが。
宮廷といえばなんといってもフランス、華麗なるベスサイユ宮殿です。夢のような庭、恋愛沙汰、ファッショナブルな最先端モード服。イギリス、チャールズ2世、このときフランス、ルイ14世。22歳で政治を行っています。
ベルサイユ宮殿から芸術の部分でも大きな影響力を発揮しています。
現代に残るこの当時のヨーロッパファッションの画像といえば、フランス服ばかりですからね。
やはりイギリスでも憧れずにはいられません。
ですが、この時代のイギリス貴族の家(マナーハウス)は、広大な領地に立っています。そして領主として管理している彼らは、乗馬服を着用しているのです。
ですから、やはり機能も考えた服装となるわけです。
この後もフランスは宮廷中心というスタイルですが、イギリスは国の領地で乗馬、狩りをして過ごすことが中心です。
ファッショナブルでファッションをリードしているのは常にフランスで、イギリスは機能重視、スポーティー、その中に階級を表す乗馬服ベース実用服でリードしていくわけです。
ところで、イギリスがファッション性ではフランスに叶わないのかといえば、一概にそうでもなくて、
この乗馬服スタイル、そのうちにパリにファッショナブル乗馬服が登場するなど、この頃は互いに影響を受け合っている部分もあります。
こうして乗馬服から少しずつ進化を遂げていく男性の服装ですが、
現在のようなウールスーツはいつから登場しているのでしょう?
これについて、
ロンドンの仕立て屋の息子である、英国紳士 サミュエル・ピープスの日記から読みとることができるとのことで、引用させていただきました。
イギリスでも宮廷でウール・スーツらしきものが登場うしたときの様子について
サミュエル・ピープス
1666年、10月15日。国王がベストを着始める。貴族院、下院でも、数名が着用するのを見る。
王室の顕官の中にも、体にフィットした、黒の、長めの服を纏っている。下は白の絹、その上にコートを羽織るなど、いろいろな様。
このあたりより、いよいよ装いが広がり、いわゆるウール・スーツのような服が誕生したといえます。
そしていよいよ現代でも馴染み深い(クール・ビズで馴染み薄い??)クラヴァット、いわゆるネクタイが登場してきます。
ネクタイの誕生秘話
ここらから、ご存知の方も多いかと思いますが、いよいよあの伊達男ボーブランメルが登場します。
この時代のこうしたあたりの装いが、ブリティッシュスーツの原型といって過言ではないでしょう。
18世紀末、乗馬服スタイルは、スーツとして定着します。
18世紀の特徴といえば、カットに注意したこと、かたや19世紀はフィット性に重きを置いたことで知られる。この状態はいろいろな理由が考えられるが、なんといっても生地の選び方としたての技術全般に渡って、より科学的なアプローチを図ったことである。上着の生地は目のこんだ絹織物より柔らかい素材を選び、仕立職人はアイロンで伸縮させながら、ボタンを締めても微妙なフィットになるようにカットしていった。
18世紀末になると、イギリスの仕立て屋がメンズファッショのリーダーとなってきたが、これは長年デリケートに生地を扱ってきた経験がものをいい、技術が向上してきたからで、カントリーウエアにもスタイルるですが、とエレガンスをもたらしたし、ファッショナブルなスタイルるですが、として受け入れられる服を作っていった。
イギリスの紳士服 ハーディ・エイミス著より
かくもこうして英国服、いわゆるブリティッシュスーツが誕生していきます。
この後も様々な変化を遂げていく紳士服、
ですが原点は不変です。
さぁ、次回以降で、つ、ついに、、
鳥肌が立つような、あの男が登場します。
ファッションの起源については、また今後お伝えしていきますね。
歴史上の出来事、服装の歴史についても諸説あります。洋装のおおまかな流れをご説明したく記事を書いた次第ですが、誤表記、勉強不足などございましたら、申し訳ございません。
ボットーネでは創業以来、ただスーツを仕立てるだけでなく、立場や時間、与えたい印象、好み、お持ちのアイテム、似合う色と柄、今と未来のスタイルをトータルで考えた、あなたに最適な戦略的スーツのお仕立てと着こなしをご提案いたしますので、まずはメールで日程をご予約ください。