スーツのボタン

松はじめです。
私たちtailor m and mもまもなく2周年。
ここまでの道のりは、実は数々のドラマがあり、たくさんの方の協力なしには語れません。
本日はtailor m and m誕生秘話をお話ししたいと思います。

それは27歳の2月、雪のちらつく都心…
私は富山県の田舎町から上京してからまだ3ヵ月でした…

これから皆様と30年後もおつきあい

tailor m and m

上質なものを日常に…
ご自宅でフィッティングも対応、オーダースーツコンシェルジュがテーマです。
エルメネジルド・ゼニア正規代理店

本当にやりたい仕事をする!と決め、地元の会社を辞めました。
そして、無謀な私の生き方に、保守的な県民性もあって、猛反対する親を説得して、友人たちには「東京に行って、ファッションで日本を変えてみせる!」などと意気込んでいました。

 

本当にやりたいこと…
私はスーツが大好きでした。
昔から友人にコーディネートを頼まれたりすることもありましたし、ファッションが好きでした。

しかし、それまで自分に嘘をついて、【やりたいこと】ではなく、【やれること】を仕事にしていたのです。
ですから、普通に自動車の営業をしていました。


やりたいことを心に秘めながら、どこか踏み出せない日々に嫌気が差し、
27歳の11月、心を決めました。
東京へ出て、ファッションで日本を元気にしたい!という熱く燃えるような想いでオーダースーツ店に入り修業しようと決めたのです。


東京に知人はほとんどいません。
しかし、記憶の彼方にいたのです。
数年前、ひょんなことからお酒をご馳走になったS社長。
S社長はスーツ店を経営しているのは知っていました。

私はS社長に熱意を告げ、なんとか東京でオーダースーツの修業をスタートすることになったのです。


未来の希望に満ち溢れていた私を、奈落へ突き落とすできごとが!!


憧れの素晴らしき先輩方について学ぶ日々、これからのことに胸を高鳴らせていたある日です。
それはスーツ店の店員になってから3ヶ月が経過した、2月の冬の日でした。
夜、お客様との打ち合わせを終えてお店の裏のオフィスへ行くと、深刻そうな社長、役員、先輩方が座っていました。
重たい空気の中、私もそこに座りました。


「うちの会社の事情はわかるな?」

そう話し始めた社長。
アパレルだけではなく、多方面で事業展開していた会社でしたが、会社自体の存続の危機だったのです!
このままではお店がなくなってしまう!

 

「松には明日からKD○Iの電話回線の商材を販売してほしい

社長から衝撃的な一言を告げられました。
翌日から電話回線の営業です。
アルバイトたちに混ざり、なぜか企業へと電話で営業を架けながら、

違う、こんなことをする為に東京に出たんじゃない…
何度も歯を食いしばっていました。

 


貯金もない、
コネもない…
けれど自分に嘘をつけず、私は会社を去りました。

スーツの仕事をするためにやってきた東京。
知人もいない大都会…
明日のことすら見えない毎日に気力も沸かず、呆然とした日々が過ぎました…

 

そんな時、見兼ねた私を独立への道へと後押ししてくださったのが、ある洋服の直し屋さんでした。
「それだったら、自分でやってみたら?業界の人間を僕が紹介してあげるから。」


この方には今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
やっとのことで仕入れた、たった2冊の生地ブックと、裏地とボタンサンプル。

 

飛び込みをしたり、ビラ蒔きをしたり、
少しずつ実績がついてきて、たくさんの方に満足してもらえるようになって、
紹介を頂けるようになって…

こうして翌年にはイタリア・ゼニア生地まで取り扱えるようになりました。



お店など出せるはずもなく始めたコンシェルジュスタイル。
店舗という大きなコストをかけないこのスタイルは、ユーロ高でもスーツ代金をほとんど値上げせずに続けられるほどでした。

現在はラウンジへお越し頂く方も増えています。

メディア掲載実績 住宅情報 都心に住む4月号 (リクルート)
一流の技を自宅に お届けサービス新事情

さらに現在では「ファッション事業のれんわけシステム」を導入。
新規参入の難しいオーダースーツの業界に、比較的容易に参入できるようにシステムを構築。
これによってまったく未経験の企業でも、全国でアパレル事業をスタートできるようになりました。


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ボットーネでは創業以来、ただスーツを仕立てるだけでなく、立場や時間、与えたい印象、好み、お持ちのアイテム、似合う色と柄、今と未来のスタイルをトータルで考えた、あなたに最適な戦略的スーツのお仕立てと着こなしをご提案いたしますので、まずはメールで日程をご予約ください。